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help リーダーに追加 RSS エイジアンナビゲータ- 瀋陽をブラブラ 【その3・ふたつの老車站】

<<   作成日時 : 2007/07/27 17:04   >>

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瀋陽の旅で、どうしても行ってみたかったのが駅です。某作家先生の小説にも登場する瀋陽駅は歴史的にも芸術的にも価値があり、かつて日本からこの地を目指した多くの日本人が最初に降り立ったであろう駅をひと目見てみたいと、かねてから思っていました。その日のお客さんの日程には「駅見学」なんて入っていなかったのを、無理やり・・・おっと違った!(笑)“さりげなぁ〜く”コースに加え、案内してくれた地元の人に「老車駅(旧駅)」に行きたいと言い、駅の特徴を告げると何だか話がかみ合わない・・・どうして??


「瀋陽駅に行きたいんです!古くて、東京駅にも似ていて、遼寧賓館(旧大和ホテル)からでも
歩いて行ける駅ですよね」というエイジアンナビゲーターの説明に、案内してくれたL小姐は
「古いですけど、もう使ってません。それにホテルからは歩いていけませんよ」と
言うじゃありませんか!
よくよく話を継ぎ合わせてみると、なんと瀋陽には二つの老車駅(旧駅)がある
ことが判明しました。
それが冒頭写真の駅舎です。
ひとつは今でも現役で使われている瀋陽駅(旧奉天駅・写真右)
もうひとつはすでに閉鎖となった瀋陽北駅(旧遼寧総駅・写真左)です。

L小姐いわく「瀋陽駅は有名で、みんなそっちを見に行きますが、こっちの総駅は
わかりにくいところにあります。先日、元満鉄で働いていたという老夫婦をご案内したので
知っています」というではありませんか!やはり神様は“よい子”のエイジアンナビゲーターに
L小姐を遣わしてくれたのね・・・・・(笑)


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では、某作家先生の小説にも登場する瀋陽駅(旧奉天駅)から見学しましょう♪
この駅は満鉄(南満州鉄道株式会社)最大の駅舎として1910年に竣工したもので、
当時は、大連、旅順、撫順、長春と並び満鉄・五大停車場と呼ばれていたそうです。
東京駅に似ているのは、実際に東京駅を設計した辰野金吾氏が好んで使っていた
“辰野式”と呼ばれる建築様式を用いているからだそうです。
(瀋陽駅の設計者は満鉄本社建築係の太田毅氏)


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正面から入ると、駅の中央ホールはこんな感じになっています。
このクラッシック感が何とも言えず重厚な雰囲気を醸し出していますよねぇ〜。
上のホームに続くエスカレーターを昇りながら、ふとある駅を思い出した。

それは天津駅です。
↓↓↓
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(天津駅のフレスコ画・写真は百度ネットより借用)

天津駅も同じように中央ホールから続くエスカレーターを昇るとホームに行ける
造りになっています。
あまり知られていませんが、そのエスカレーターに乗りながら上を見上げると
写真のような見事なフレスコ画があるんですよ!!
駅自体が暗いことと、エスカレーターに乗りながらあまり上を見る人がいないので、
このフレスコ画のことを知る人はあまりいません。
以前、勝手に自分たちで企画した「天津洋館ツアー」で天津探検をした時に
80年代に留学を経験している友人Z嬢が教えてくれました。

※現在、天津駅は改装のため閉鎖されていますが、この壁画は保存されるそうです。


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再び話を瀋陽駅に戻しましょう。
エスカレータから見た中央ホールは、こんな感じです。
この駅が出来た当初は、駅の2階に奉天大和ホテル(現・遼寧賓館)があったそうですが、
手狭になったことから、1929年に現在の中山広場に面した場所へ新しくホテルを
移転したそうです。
当時のステーションホテルにも泊まってみたかったなぁ〜〜。


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そして、瀋陽駅から遅れること17年の1927年。
市街地の北側に瀋陽北駅(旧遼寧総駅)が竣工となりました。(1930年という説もある)
満鉄の奉天駅に対抗して、当時東北地方の実験を握っていた張作霖政権が
奉天を通って吉林省に伸びる吉奉鉄路を整備し、その総駅として建設したのが、
この駅です。
設計は、今世紀の中国を代表する建築家と呼ばれる楊廷宝が手掛けました。
デザインも奉天駅を意識したルネッサンス様式になっています。

 このサイトを開くと、昔の駅舎の写真が見られますよ。
http://sonicbbs.eastday.com/topicdisplay.asp?topicid=1637597


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中国語の資料を見ると、当時の奉天駅(現瀋陽駅)で乗り降りするのは、
日本人乗客がほとんどで、中国人乗客は、この遼寧総駅を利用していたとあります。
なので、この駅の周辺には昔から地元の人が行き来する市場や旅館、映画館、茶館、
銭湯などが集中していて、とても活気のある場所だったという記述がありました。
今でもマンションなどをはじめ、地元の人の生活エリアとしての顔をとどめています。
このプレートにもあるように、駅前の道には「総站路(総駅路)」という名前が残っていて、
駅はすでに閉鎖されていますが、かつてここが駅であったことを証明しています。


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案内してくれたL小姐の話では、1930年代はこの駅も満鉄の管轄下に置かれていたそうで、
実際にここで働いていたというご老人を、つい数週間前に案内したと言っていました。
そのご老人は「写真の左奥に見える建物の2階が食堂で、1階にある事務所で働いていた」
「当時と全く変わっていない!」と、懐かしそうに眺めていたそうです。

※現在は新しい瀋陽北駅が出来て、旅客運輸機能はすべてそちらに移行しています。


※エイジアンナビゲーターの「中国の車窓から」
他の鉄道シリーズは、こちらをご覧ください。

http://suka-ajia.at.webry.info/200605/article_6.html
(あぁ哀愁の北京南駅 )

http://suka-ajia.at.webry.info/200605/article_7.html
(永遠の老車站・北京北駅 今年100周年!)

http://suka-ajia.at.webry.info/200605/article_8.html
(歴史の生き証人 青龍橋老車站)


※参考文献
「図解 満洲都市物語」西澤泰彦著

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
“よい子”のエイジアンナビゲーターさんには、
神様が手を差し伸べて下さるのですね。
迷えるこぶたはいつも場所探しに右往左往してばかりです・・・(汗)
それにしても瀋陽駅(旧奉天駅)は本当に東京駅に似てますね。
上階にステーションホテルがあるところも。
やはり昔の駅は『趣』がありますね。
こぶたのほっぺ
2007/08/15 17:32
こぶたのほっぺさん
そうですね、昔の駅は何とも味のある趣があっていいですよね。満州というと、戦争の関係で良い話ばかりではないのですが、もし1日だけ当時にタイムスリップできたら、アジア号に乗って奉天まで行き、ステーションホテルに泊まってみたいです。
エイジアンナビゲーター
2007/08/15 17:58

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